今回はフラのオリンピック、メリー・モナーク・フェスティバルについて触れてみたいと思います。
1960年5月23日、チリ南部で断層の長さが1,000kmにも及ぶ観測史上最大の超巨大地震(チリ地震:マグニチュード9.5)が発生しました。
太平洋に広がった津波は地球のちょうど反対側にある日本付近で焦点を結び、前触れのない津波となって死者142人という大被害を及ぼしました。
地震発生の15時間後には津波はハワイを襲い、ヒロ湾では10.5mの最大到達高が観測され、海岸から800m以上の内陸まで壊滅的な被害を及ぼしました。ハワイでの犠牲者は61人でした。
この津波被害からの復興の中で、観光誘致をめざしたメリー・モナーク・フェスティバルが計画され、1964年に第一回フェスティバルが開催されました。
1971年になってフラ競技が加わり、最初は9グループの参加だけでしたが、フラがハワイ文化の集約・象徴として見直される中でフラ競技が年々拡大し、今日では20を超えるハラウ(フラの教室)が参加し、メリー・モナーク・フェスティバルのメインイベントとなり、フラのオリンピックと言われるようになりました。
メリー・モナーク・フェスティバルでは2種類のフラ、カヒコ(Hula Kahiko)とアウアナ(Hula Auana)が踊られます。
カヒコは代々受け継がれてきた伝統的な古典フラで、チャント(詠唱詩)と大きな瓢箪でできたドラム(イプ)などの楽器に合わせて自然の神々を讃え、捧げる踊りです。一方、多くの人に親しまれているハワイアンミュージックに合わせて躍られるフラがアウアナです。
アウアナは「漂う」「古い形式から解き放たれた」「新しいスタイルの」という意味のハワイ語で、ウクレレやギターなどで伴奏される楽曲に合わせて男女の愛や自然への感謝をテーマとして踊られます。
アウアナの始まりは宣教師が持ち込んだ讃美歌の影響ではないかとも言われてますが、ハワイ王朝最後第8代リリウオカラニ女王の役割が大きかったとのことです。
彼女は才能に恵まれた女王で、良く知られているアロハオエの作詞作曲者でもあります。
メリー・モナーク・フェスティバルは4月のイースターから1週間開かれ、その中でフラの競技は3日間、Edith Kanakaole Stadiumで開催されます。
初日の女性ソロの部(カヒコおよびアウアナ)の総合優勝者がその年のミス・アロハ・フラに選ばれます。
F. Y. 記
皆さん、挨拶のときに使われる、ALOHA(アロハ)という言葉はよくご存じですよね。
でも、ALOHAは「I love you」という言葉でもあることを知っていましたか。
それだけでなく、この言葉にはもっともっと深い意味があることをご存じでしょうか。
実は、「ALOHA」は5つのハワイ語の頭文字をとった特別な言葉なのです。
以下に、ハワイ州観光局によって書かれた「ALOHA」の記事を紹介したいと思います。
A akahai 思いやり、優しさ・・・優しさを持って感じ考える
L lōkahi 調和、ハーモニー・・・調和の中にしっかりと立つ
O ʻoluʻolu 心地よさ・・・感情と共に思考のバランスをとる
H haʻahaʻa 謙虚さ・・・謙虚さを示し謙虚である
A ahonui 忍耐強さ・・・自立を学ぶ忍耐強さを持つ
そう、ALOHAはハワイの人びとの心、生き方、精神を表現した言葉なのです。
また、それ以上に、ハワイの人びとの持つ人間観、世界観を示す言葉なのです。
このことはハワイ州法第5条にも、
Aloha spirit is the coordination of mind and heart within each person. It brings each person to ・・・(「アロハスピリット」とは人々の心と精神の調和である。・・・)と定義されて、ハワイの人びとの行動規範であることが示されています。
F. Y. 記
フラが禁止されていた時代があったことをご存じですか。
1778年のジェームズ・クックによる「ハワイ発見」以降、ハワイの歴史は変化を余儀なくされました。
西へ西へと開拓し、やがて西海岸まで達したアメリカは太平洋をさらに西へと手を広げ、スペイン領フィリピンを、1898年、自らの植民地としました。その途上に位置するハワイが、これより早くからこの流れにまともに飲み込まれたのは当然なことでした。
ハワイは太平洋航路の中継地・軍港として重要な役割をはたすと共に、アメリカ人が次々と入植し、サトウキビ農園を広げていきました。白人入植者は利権拡大を狙って1887年のクーデターで王権を制限し、1895年の武力鎮圧でハワイ王国を倒してしまいました(1898年に米国に併合)。
植民地支配の常套手段は、人びとにとってのアイデンティティーである信仰や言語をはじめとした文化を破壊することです。
1820年以降にハワイでキリスト教化をすすめた宣教師は自然崇拝を否定し、その祈りの姿であるフラを、邪教の怪しげで淫乱な儀式として攻撃、禁止しました。アメリカがハワイ支配を強める中で、フラは隠れてしか踊れない時代となってしまったのです。
フラの空白は約50年間も続きました。また、ハワイ語の使用もサーフィンも禁止の対象とされたのです。
フラを復活させたのは、メリー・モナーク(陽気な君主)とのあだ名で親しまれているカラーカウア第7代王(在位1874-1891)です。
彼は秘密結社を設立してハワイの伝統文化を奨励し、誕生会の宴という限られた場でのフラでしたが、その後のフラの復活への道を付けたのでした。フラの本格的復活は1970年代に始まるハワイアンルネサンス、文化復興運動でした。現在は毎年、イースターからの一週間、「メリー・モナーク・フェスティバル」という名前でフラの祭典が開催されています。
F. Y. 記
ハワイアン音楽といえばウクレレ(ukulele、あるいはハワイ語で ‘ukulele)。フラの伴奏にも欠かせないものですが、先住の人々で古くから伝わってきたものとは思えません。
実は、19世紀末にポルトガル移民がハワイに持ち込んだブラギーニャ(braguinha)という5弦の楽器が元になって、ハワイで独自に発達した4弦の楽器。このため、1879年に初めてのポルトガル移民がハワイで登録された8月23日が「ウクレレの日」と定められています。
ウクレレのハワイ語での意味は、 ‘uku=ノミ、lele=飛び跳ねる、とのことですが、弾くときの指の動きのイメージから来たとも言われています(演奏者の姿とか、「到来した贈り物」など、諸説あり)。
ウクレレの素材は今では木だけでなく、さまざまあるようです。しかし何といっても、ハワイ固有種の樹木コア(Koa)によるものが伝統的に尊重されています。コアを用いたウクレレは木目も美しく、明るい軽やかな音色を奏でられ、いかにもハワイらしい響きを持っていると思われています。
F. Y. 記
前回、ハワイ語が他のポリネシア言語と極めて類似していることに触れましたが、
ここでは、ネイティブハワイアンのルーツがさらにはるか西にあったということのなごりを示す言葉を一つ、挙げてみたいと思います。
ハワイ語で「火」のことをアヒ(ahi)と言いますが、遠い南のサモアでは afi、トンガでも afi、タヒチでは auahi、フィジーでは異なっていますが、
ニュージーランドのマオリ語ではハワイと同じ ahi と、良く似ています。
ところが、それだけでなく、ポリネシアからはるか西に離れたインドネシアでは api、更に北西に離れたフィリピン(ピリピノ語)では apoi と言います。
このように、似た言葉がハワイ人の辿ってきた道には残されているのです。
ところで、ハワイと南の島々とは、最も近いマルケサス諸島でも3,500キロも離れています。
ポリネシアの人びとがいくら航海術にたけていたとはいえ、むやみに航海してハワイ諸島に遭遇することは不可能です。
遠い昔、彼らには「目標の地」があったのです。
彼らは毎年、季節が来ると北の方角から渡り鳥が飛んでくること、その渡り鳥がやがて元の方角に飛び去っていくことを見て、
その方角には陸地があることを確信したのです。
また、渡り鳥の疲れ具合を見て、その陸地がかなり遠いであろうことも判っていたのでしょう。
彼らが何を思って舟を漕ぎ出したのは計り知れませんが、その「目標の地」こそがハワイだったのです。
F. Y. 記
ハワイの島々は他の陸地から遠く離れた太平洋のど真ん中、孤島中の最孤島。
フラの踊り手であるハワイの先住民の人びとの祖先はそのような地に、一体、どこから、どうやって、いつ頃、たどり着いたのでしょう。
ネイティブハワイアンの人びとは文字を持っていませんので、「記録」というものはありません。
それがあれば、古い時代の貴重な情報が得られることは確かですが、時代をより遡る先史ともなると神話の世界にはまってしまいます。
ネイティブハワイアンは人類学的にはポリネシア人に属しています。
またハワイ語は他のポリネシア言語と極めて類似しています。
南太平洋の島々は、北西側のミクロネシア人、南西側のメラネシア人と、ニュージーランドやトンガを含む、
東側の島々に分布するポリネシア人とに分かれますが、このポリネシア人が大洋をひたすら北上してハワイに辿り着いたということになります。
この遠洋航海を実現できたということは、彼らが極めてすぐれた航海術を身につけていた事の証明でもあります。
詳しくは別の機会に譲りますが、夜空の星が彼らの航海術の基本となっていました。
また、大洋を渡りきれる舟を作る技術もあったということです。
ポリネシア人がいつ頃ハワイに到達したかについては、遺跡の放射性年代測定から、
紀元前5世紀から3世紀頃にかけてではないかと考えられています。
近年発達の著しいDNA研究から、彼らのルーツが華南など、東アジア起源であることも明らかになっていますが、
今後、より一層詳しいルーツの解明が進むと思われます。
F. Y. 記
ハワイの島々の自然の中に神々が宿る。その神を敬い、その心を踊りに託して顕す。それがフラ。
神に捧げる心を想いながら踊れば、一歩、ハワイの人々に近づけるのでは。それがまた、心の安らぎにつながっていくことでしょう。
自然の神々の中でも、火を噴き、赤い溶岩を絶えず流れ出す恐ろしいキラウエア火山、その女神、ペレ(Pele) はハワイの人々にとって特別な存在です。
ペレホヌアメア(聖なる大地のペレ)とも、ペレアイホヌア(大地を食べるペレ)とも、ペレクムホヌア(大地の源)とも呼ばれ、キラウエア火山のハレマウマウ火口に住むといわれています。
気が強く、放縦な怒りで火山を爆発させてしまう性格は、自然に対する人々の畏怖心を抱かせるのに十分ですが、それと同時に、出会うすべての男を魅了させてしまうほどの美人でもあるとされていることも、永く信仰の対象とされ、フラを捧げられてきた理由のひとつかもしれません。
F. Y. 記
ハワイ諸島は北西から南東に向かって132の島、岩礁、砂州が並んでいますが、そのうちの主な6つの島は、北西からカウアイ島、オアフ島、モロカイ島、ラナイ島、マウイ島、ハワイ島です。
ハワイ諸島は、約500万年前の噴火でまず最初にカウアイ島が海上に出現し、その後、南東に向かって新たな島が順次形成されたことが地質調査で明らかになっています。
ハワイ島南東部で噴火中のキラウエア火山が現在も進行中の群島形成の現場ということになりますが、ハワイ島の南東35km沖にあるロイヒ海山でも活発な海底火山活動が認められ、新たな島になるのではと見られています。
火山噴火は、直下にあるマグマの活動の活発化で生じます。と言うことは、ハワイ諸島ではマグマの供給源が年代とともに北西から南東に移動していった事を意味します。そして、その移動速度は年6〜9cm程度となる計算です。
マグマの供給が途絶えたカウアイ島などの、より古い北西側の島々は、海や川による浸蝕作用を受けて、いずれ消滅する運命を辿ることになります。
F. Y. 記
フラはハワイ先住民の自然崇拝の中から生まれてきたものですが、その自然観を培ったハワイの島々はこの地球上でも極めて稀な場所。どの大陸からも遠く離れた太平洋の真ん中に孤立するハワイの島々は、いずれも火山活動によって形成され、水深5000mの海底からそそり立ち、4000mを超える高さに達する山すら存在しています(最高峰はハワイ島のマウナケア=標高4,205メートル)。
今現在も噴火を続け、灼熱の溶岩流をあふれ出しているハワイ島のキラウエア火山をはじめ、ハワイ諸島全体に形成された独特な火山地形は、雪を抱く山から熱帯雨林まで存在する多様な気候とあいまって、人々に畏怖の念を抱かせるのに十分な、驚異的景観を呈しています。
F. Y. 記
(動画)活動を続けるハワイの火山
ハワイ州観光局のサイト(https://www.allhawaii.jp/spot/56/)より